子どもの認知・感情を考えたほめ方・叱り方

  ほめことば・叱りことばにひそむ隠れたメッセージの影響-(三宮真智子)
  (『児童心理』(金子書房)1993年47巻3号Pp. 36-42より,許可を得て転載)

1.ほめられたことより叱られたことが記憶に残る

 大学生に,これまで人からほめられた経験・叱られた経験を書いてもらうと,叱られた経験についての報告が圧倒的に件数も多く,またどんな状況でどんなふうに叱られたかが,比較的鮮明にでてくる。
 その中には,自分が悪かったと反省するもの,自分は悪くなかったと反省するものに混じって,自分も悪かったがあの叱り方は納得できず,今もいやな思い出として残っているというものがある。
 叱られ経験を分類してみると,小学校時代のものが最も多く(1),学校では忘れ物,授業中のおしゃべり,宿題やそうじをさぼったことなど,家ではきょうだいげんかや口答え,勉強のことなどと,内容も豊富である。叱られた原因だけでなく,どんなふうに叱られたかについても,特に叱り方に納得できない場合には,鮮明な記憶が残るようだ。たぶん,悔しい経験として何度も心によみがえった結果であろう。
 さらに,大学生に対してこれまでの叱られ経験の中で,すなおに反省できたものおよび嫌悪を感じたものについて具体的な記述を求め,その内容を整理すると,表現すなわち叱りことば,状況,人物すなわち叱り手の三つの要因が見いだされる(2)。中でも,叱りことばについての記述が多く,また詳しい。このことは,同じ状況,同じ叱り手であっても,叱り方によって反省にも嫌悪にも導きうることを物語る。
 もちろん,こうした記憶にはバイアスがかかっているかもしれない。人は,自分に都合のいいように解釈し,また記憶を変容させてしまいがちである。しかし,叱られ手の行動を左右するものは「どう叱られたか」という事実ではなく,「どう叱られたと思いこんでいるか」である。叱られたことをどう解釈し,どう記憶しているかによって,後の行動は変わってくる。
 このように考えると,ほめ・叱りの際の,ことばの選び方に慎重になる必要があることがわかる。せっかくほめても,ほめ方が不適切だと子どもは嬉しくない。叱るのが当然な状況でも,叱り方が不適切だと逆効果になる。ほめ手・叱り手の気持ちを離れて,ことばはひとり歩きを始め,相手の心に働きかけることがある。
 本稿では,こうしたことばの持つ影響力を重視し,特に叱りことばの問題を中心に考察する。

2.叱り手の意図

 ことばは,受け手の立場やその場の状況・送り手と受け手の人間関係などにより,さまざまに解釈される可能性を持つ。ほめられたり,叱られたりする場合も同様である。せっかくほめられても,「おだて,ごきげんとり」と解釈すればすなおに喜べない。また,叱られたとき,相手が自分をただ単に「攻撃した」と解釈すれば反省心もわいてはこない。ほめられるときもそうだが,叱られる場合にはとりわけ,叱り手が「どういうつもり(意図),どんな気持ちで」叱ったのかについての認知が,叱られ手の反応を大きく左右すると考えられる。
 これまでの叱り方研究においては,「叱られる原因が明示され,叱られ手がそれに納得できなければ叱りの効果は期待できない」という点が強調されてきたが,これだけでは十分ではないだろう。叱られ手は,叱り手のことばに含まれる微妙なニュアンスを感じとり,そこに叱り手の意図や気持ちを見出す。用いられたことばの意味内容だけが理解されるのではない。叱られ手は,なぜ叱られたのかという叱られた原因のみならず,叱り手がどんなつもりで自分を叱ったかという叱り手の意図や感情に対しても,極めて敏感に反応している。
 したがって,ある叱り方が叱られ手にとって納得できるものとなるためには,叱られた原因について納得できるだけでなく,叱る側の意図や感情についても納得できなければならない。たとえ叱られたこと自体は適切と受けとれる状況でも,叱り手の意図や感情が不適切と認知されれば,その叱り方は受け入れられず,効力を失うだろう。

3.叱ったことが裏目に出るとき

 ある父親は,塾をさぼる子どもに対して,「そんなに塾に行きたくないなら,行くな」と叱った。すると子どもは,そのことばを真に受けて塾をやめてしまった。これは実際にあった話だが,叱り手の意図がうまく伝わらず,逆説的な言い方をしたことが裏目に出てしまった例である。効き目があると思って言ったことばだが,効果を持たないばかりか,逆に悪い方向に作用することがある。同じ状況であっても,言い方しだいで子どもの反応はずいぶん違ってくる。
 子どもを叱る際のことばの選び方が,子どもにどのような認知的・感情的反応の違いを引き起こすかについて,以前に調査研究を行ったことがある(3)。小学校五・六年生に親から叱られる状況を挙げさせた時,高頻度で出現するものの一つに"勉強しない(勉強をさぼっている)"という状況があるが,これに対する親の叱り方の実態を整理すると表1のようになる。

表1 親が子どもを叱る際の代表的な言語表現例
(子どもが勉強しないことに対して叱る場合)
 直接的表現  望ましい行動の実行要求:「勉強しなさい!!」
 間接的表現1. 望ましくない行動の指摘:「ほら,またさぼってる!!」
 2. 望ましくない行動の逆説的要求:「勉強したくないなら,するな!!」
 3. 望ましくない理由説明:「成績が下がるに決まっている!!」
 4. 罰の予告:「おこづかい下げるぞ!!」
 5. 否定的な人格評価:「根性のない子だ!!」
 6. 突き放し:「もう,好きにしなさい!!」
 7. 話者の不快感の表明:「おかあさん,がっかりした!!」
 8. 世間体意識:「ご近所に笑われるよ!!」
 9. 問いただし:「どうして勉強しないの!!」
 10. 悪態,ののしりによる不快感の表明:「バカ,怠け者!!」
 11. 想起:「前にも言ったでしょ!!」
 12. その他:「おれの子だったら,もっと勉強するはずだ!!」

 大きく分けると,直接的表現と間接的表現の二つに分かれるが,前者が直接的な行動要求をそのまま言語化しているのに対し,後者はしばしば親の腹立ちや焦り・失望などをこめた屈折表現により,間接的な行動要求を行っている。こうした異なる表現が受け手にどのような印象を与えるかを,評定尺度で調べてみると,直接的表現と間接的表現では,同じ事柄について叱られる場合でも,違った印象を与えることがわかった。一般に,間接的表現は直接的表現に比べ,より感情的で視野が狭く,冷たく,子どもにとって納得し難いというように,受け手の側に望ましくない印象を与えるものであり,特に否定的な人格評価・突き放し・世間体意識を中心とした表現にこの傾向が強く認められる。
 さらにまた,勉強しない,手伝わない,ペットの世話をしない,夜ふかしする,忘れ物をするなど,八つの典型的な叱られ状況に適用可能な言語表現のみを選び,PFスタディ(Picture-Frustration Study)を模した図版を作成して,受け手の外言および内言反応を調べた(図1)結果,直接・間接的表現の間に異なる反応傾向が見られた。


     図1 叱りことばに対する受け手の外言および内言反応

 まず,外言反応では,直接的表現に対して叱りをすなおに受け入れる「ごめん」などの反応が多く,間接的表現に対しては黙っているという無言反応が多かった。そして内言反応を見ると,直接的表現に対しては外言反応とほぼ同一内容の言い換え,説明である場合が多い。たとえば,「早く寝なさい!」に対して,外言では「もうちょっとだけ」,内言では「この本おもしろいんだもん」といった具合であり,「勉強しなさい!」に対して,「はーい」(外言)および「気が向いたらするよ」(内言)などであった。
 一方,間接的表現に対する内言反応は多様であった。外言が無言である場合にも内言においては,親に対する反抗(「もうお手伝いなんかしないもんね」:手伝わないことを叱られて),親への抗議(「夜ふかしがなんで悪いんだ」:夜ふかしを叱られて),叱り方への不満(「そこまでいう事ないだろ!」)など,さまざまな感情的反応が現われた。さらに,このようなネガティブな内言反応はまた,外言において一応叱りを受け入れすなおな反応が出ている際にも見られ,間接的表現の場合には特に叱りことばへの見かけの反応と内心の反応との間に大きなギャップがあることがわかった。
 また,別の機会に教師の叱り方の実態を調査し,整理したものが表2である。親の叱り方と同様の類型が多く見出されるが,特徴的なのは,8番のセルフコントロール要求と12番の権威的おどしである。前者は比較的子どもが受け入れやすい叱り方であるが,後者は最も嫌われ,反感を買う。

表2 教師が子どもを叱る際の代表的な言語表現例
(子どもが給食を残したことに対して叱る場合)
 直接的表現  望ましい行動の実行要求:「残さず食べなさい!!」
 間接的表現1. 望ましくない行動の指摘:「また,残している!!」
 2. 望ましくない行動の逆説的禁止:「食べたくないんだったら,食べるな!!」
 3. 望ましくない理由説明:「いつも残しているとくせになるぞ!!」
 4. 罰の予告:「正座させるぞ!!」
 5. 否定的な人格評価:「わがままな子だ!!」
 6. 突き放し:「お前のようなやつは知らない!!」
 7. 話者の不快感の表明:「先生は残念だ!!」
 8. セルフコントロール要求:「作ってくれた人の立場に立って考えてみろ!!」
 9. 問いただし:「そんなことでどうするんだ!!」
 10. 悪態,ののしりによる不快感の表明:「ばかもん!!」
 11. 想起:「先生は給食のことを前から言っているだろ!!」
 12. 権威的おどし:「通知表に書いておくからね!!」
 12. その他:「家庭の責任だ!!」

4.叱ったことが裏目に出るとき

 あることばを発するとき,叱り手はそのことばの中に意図や気持ちをこめる。ところが,こめたつもりのない意図や気持ちが,相手に伝わってしまうことがある。
 私たちは一般に,一つの発言から幾つものメッセージを読みとる。たとえば,給食を残す子どもに教師が「残さず食べなさい!」と言うとき,字義通りのメッセージ以外に,「給食を残すのはいけないことだ」,「私はあなたに命令する(指導する)立場にある」というメッセージが伝わるだろうし,「私はあなたをよい子にしたいんだ(そのために叱っているんだ)」とか,「あなたは,口で言えばわかるはずだ」といったメッセージも伝わるかもしれない。もしここで,「残すなら,通知表に書いておくからね!」と言ったらどうだろう。「残さず食べなさい」,「給食を残すのはいけないことだ」,「私はあなたに命令する(指導する)立場にある」といったメッセージに加えて,「私はおまえを脅しているんだ」,「通知表にそんなことを書かれるのは不名誉なことだ(いやだろう)」,「おまえは,脅しでも使わなければわからない子だ」などというメッセージが伝わってしまうだろう。
 こうしたメッセージを,叱り手は必ずしも送ろうと意図しているわけではない。しかし,叱られ手はしばしば過敏であり,叱り手自身も気づかないメッセージを読みとる。叱りことばの陰におとなの身勝手・理不尽・横暴・冷酷さなどを感じたとき,子どもは反感や不信感をつのらせる。そして,ほめことばでさえも,「先生(親)は子どもをおだててうまくコントロールしようとしている」,「口先だけであしらっている」,「今日は単に先生(親)の機嫌がいいんだ」などと受けとったとき,心からほめられたと感じる子どもはいない。

5.望ましくないメッセージで叱りの効果をなくさないために

 直接言わなくても,「ああ,不愉快だ」,「おまえなんか,きらいだ」といったメッセージがうっかり伝わってしまうと,かえって子どもを反省から遠ざけてしまいかねない。皮肉や相手を刺激する言い方からこうした望ましくないメッセージを伝えてしまうのは,たいてい,何度注意しても言うことをきいてもらえない情けなさやいら立ちなど,叱り手のフラストレーションが原因である。しかしながら,伝えてしまったあとで修復するのはむずかしい。なんとかこれを,事前に防ぐにはどうすればよいか。そのためには,叱ることをフラストレーションの解消手段にしないことである。あまりにも気持ちが高ぶっているときには,むしろ積極的に他のはけ口を見つけて,とりあえず心を落ちつかせる。そしてスッキリしたところで,相手が納得しているかどうかをしっかりモニターしながら叱る。叱り手がある程度冷静さをとり戻していないと,相手の心理状態に対するモニタリングがおろそかになり,不適切なことばを発して叱りを無効にしてしまいがちである。
 叱りのそもそもの目的は,その場だけの行動修正ではなく,今後の子ども自身による適切な判断と行動調整を促すことにあるはずだ。その場しのぎの行動調整ならば,親や教師の権威をふりかざし,愛情の剥奪や保護の打ち切り・成績の操作などの罰を持ち出して脅すのがきわめて効果的に違いない。しかし,子ども自身が自分で考え,行動を変容させるように動機づけたいのならば,こうしたやり方は逆効果である。そして,叱り手の側にそんな意図がなくても,そう誤解させてしまってはやはり同じ事態になるということを,忘れてはならない。
 本稿では叱りを中心に述べてきたが,ほめにせよ叱りにせよ,子どもがどう受けとり,どう感じるかという点を抜きにして考えることはできない。

引用文献
(1)竹内史宗・三宮真智子(1989)「『叱られ』経験の認知について(1)」,日本教育心理学会 第31回総会論文集,280頁
(2)三宮真智子・竹内史宗(1989)「『叱られ』経験の認知について(2)」,日本教育心理学会 第31回総会論文集,281頁
(3)遠藤由美・吉川佐紀子・三宮真智子(1991)「親の叱りことばの表現に関する研究」,教育心理学研究,39巻,1号,85-91頁