3.なぜそうなるのか?

ウラシマ
「人間って,なんだかえらくあっけなく,ひっかかってしまうんだね。なぜ,こんなふうになるんだろう。いくつかの解釈があるけど,代表的なものを紹介しておこう。1つにはね,僕たちの判断や評価がゆらぎやすいからなんだ。

 たとえば,フット・イン・ザ・ドア・テクニックの場合。一度小さな要求を受け入れると,「ああ,私は親切な人間なんだ」という方向に,自己評価が少し変化するんだ。すると,もとの自分だったら断ってしまうような,もっと大きな要求に対しても,「私は親切な人なんだから,この程度の要求なら受け入れるはずだ」というふうに思ってしまう。そして,実際に受け入れてしまうんだ。

 また,ドア・イン・ザ・フェイス・テクニックの場合には,相手からの要求を最初に自分が断ったことで,何か相手に借りができてしまったような錯覚に陥るんだ。「自分に対して,相手は譲ってくれた」というわけだね。そして,相手が次に出してきた要求,これは最初の要求に比べるとぐんと控えめなものになっているよね。これに対して,「今度は自分が譲る番だ」と思いこんでしまって受け入れるんだ。「譲られたら譲り返す」「借りた恩は返す」というのは,確かに人間社会のルールだけれども,よく考えてみると「あれっ?」て思わないかい。だって,最初の「譲られ」というか「借り」は,あとの要求を通すためにわざと作られたものだからね。やはり,錯覚を利用されたんだね。

 ローボール・テクニックの場合には,「一貫性へのとらわれ」という心理がたくみに利用されている。つまり,「一度こうと決めたことをあとでくつがえすのは,一貫性のない行動だ」「一貫性のない行動をとる人は軽蔑される」という思いが,僕たちの心の中にある。話を持ちかける側の人間は,これを利用して,一度「はい」と言わせたあとで,最初とは少し違う条件をつけてもなお,「はい」と言わせ続けることができるんだね。本当は,条件が変化したんだから,ここで「いいえ」と言ったとしても,一貫性が破られたことにはならないんだけどね。これだって,一種の錯覚だよね。

 このような,錯覚に基づくゆがめられた判断は,わりによく起こるものなんだよ。冷静な時でさえそうなんだから,パニック状態など冷静さを欠いている時や感情的になっている時,つまり感情がコントロールできていない時には,なおさらだよね。

 ここでちょっと,感情が判断に対していかに大きな影響力を持つかを見ておくことにしよう。

☆物語は,「カナリア学園の物語」 第2章4節「感情の支配下に」に続きます・・・